はちみつ茶房
ミエルと申します。イラスト描き。ただいまの目標はフランスでの絵本の出版。一児あり。
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きれいになった大学校舎
 リヨンに住む友人から電話があった。彼女とはこちらの大学で知り合った。緊急に大学の在学証明書が必要になり事務局に電話をかけたが通じない。大学は引っ越しのため連絡先が変わったが大学のサイトに記載してある番号すべて試したがダメだった。8月の終わりならもう登録が始まってるはずじゃないか?ということだった。他の連絡先知らない?ということだったが私は大学が引っ越したことさえ知らなかった。

 というわけでうちからそう遠くないので、仕事のためすぐには来られない彼女に代わって直接、13区の新開発地区に移った大学に出向くことにした。行ってみてたまげた。 普通の近代建築を想像してたら、なんだよこれ。えらくきれいじゃないですか。

grmoulins
gm_face

下の写真の前面は更地になっていて周りを塀で囲って工事が進められている。
塀にはこの地区の完成図が描かれている。今はまだ静かだが活気のある街になっていきそうだ。


 大学が引っ越したのは一つにはアスベストの問題があったからだ。私が通っていた5区のJussieuにある大学キャンパスは何とヨーロッパで一番大きなアスベスト汚染建築らしい(当時の教員の話によると、ですが)。取り壊し・建て直しもアスベストが付近に舞い散るおそれがあるため簡単なことではないということだ。私がパリで学生してたのは95-97年にかけて、はぁー10年以上になるのか・・とそれはおいといて、その頃から間もなく13区に引っ越しするとは言われていた。しかしそうは言われてるものの具体的な日取りは決まっておらず応急処置的なアスベスト除去が行われていたのみであった。

 マンモス大学なので、メインのキャンパス以外にあちこちに校舎や教室があり、幸い私達の学部は大半はマレ地区にある校舎や植物園脇の古い建物にある教室を使っていた。しかし週何回かはJussieuの教室を使用する授業があり、そんなときはなんかあまり呼吸したくないなあという感じでなるべく上を向かないようにしてたり(天井裏部分がアスベストの巣窟)、息を深く吸い込まないように浅く呼吸してみたりとかして、まるっきり子供じみた役に立たない試みだとはわかっているんだけれど、そうせずにはいられなかった。(もちろん授業中ずっとそうしてるわけじゃないが。)図書室も汚染ゾーンにあったのだけれど、そこのトイレがまた気持ち悪い。除去作業の途中だったのか後だったのか、天井が開いて中がむき出しになっていた。さすがにそこでは息を止めていたのでトイレから出てくるときは酸欠状態で、なんだかバカみたい。そういえばそことは別に事務局と隣接している専門図書のコーナーのある部屋の天井が突然落ちてきてアスベストが舞ったらしくしばらくの間閉鎖されたこともあった。

 このJussieuキャンパスは外観も汚い。セーヌ川に沿って東の新開発地区の方からパリの中心に向かうとオーステルリッツ駅あたりから景色もパリらしくなってくるが、植物園を通り過ぎ前方にノートルダムの後ろ姿が見えてくるというあたりにJussieuの校舎がどんよりと現れる。その先は近代建築だがこれまた美しいアラブ世界研究所だ。薄汚れたJussieu校舎だけ周りの景色とそぐわない。

 さてこちらの新しい校舎ネオクラシックなテイストもあってなかなか美しい。新築に見えるが20年代に建てられその後ずっと放置されていた建物を再利用、全面改修したということだ。こんなところで優雅に勉強したかったわよ。息止めとあほくさい呼吸法の日々が悲しい。調べてみたら引っ越しは2007年の1月に行われたらしい。これが私が卒業(卒業なんてないけど、便宜上)してすぐならくやしいけどまあ10年経ってるからね、まだあきらめがつくけど。
 
 それで思い出したのは日本の大学に行ってた頃のこと。当時大学は何年にもわたる改修工事のため私たちはしょっちゅう騒音の中でイライラしながら講義を受けていたのだった。いつまで続くやら、といった感じで卒業までに工事が終わることはなかった。しかし卒業してしばらくして大学に行ってみるとなんと白亜の館、当てつけのように美しくなっていた。学食兼カフェテリアはぼろくてしょぼかったのに、美しくなった構内には某洋菓子チェーンの喫茶室があったのであった。つくづく美しい大学の校舎には縁がない私なのであった。
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【2008/08/30 06:48】 | 生活 | コメント(0) |
ロストバゲージなど
 パリに戻ってきました。
こちらはもう夏は終わってしまったのだろうかというくらい涼しい。日本のうだるような暑さには辟易させられたがこう涼しいとそれはそれで寂しい。

 一応帰ってくると日本での滞在を振り返ってみる。遊んでるんだから家事などもう少しまめに動くべきだったとか、まあそれはおいといて。
 普段なかなか時間が取れないからこの機会にillustratorをもっと使いこなせるようにする、WEB上のギャラリーやプレゼンテーションをもう少し改良する、戻ったらすぐに絵に取りかかれるようにラフよりもう少し進めた下絵を描く、など出発前までは思い描いていたが例年のごとくまた不発に終わったなあ。いつもよりは少しはマシだったかな?というくらい。やっぱり友達に会ったりお店に行ったりが楽しいのでどうしてもそちらに時間を割いてしまう。

 あと今回は歯医者通いをした。小さいときから通っているところなので無理がきき、週3回ぐらい通わせてもらい集中的に治療したがそれでも1ヶ月たっぷりかかった。今回はこれといった虫歯はなかったので掃除くらいかな?と思ったけど、レントゲンを撮ってみたら差し歯や冠がかぶせてある歯の歯根が炎症を起こしていたりしてそれらを外しての治療となった。日本に到着した翌週の5日間は前歯の差し歯2本は外したままだったので、暑いのにマスク着用を余儀なくされた。

 しかし帰ってすぐ別の歯が痛み出した。レントゲン撮った時点ではあまり問題ないと思われていた歯が痛んでものはかめないし薬なしでは夜も眠れないほどだった。多少よくなったがまだ痛い。何故滞在中に痛まなかったのだー!フランスの歯医者は行きたくないし。しくしく。

 さて帰りにちょっとしたトラブルがあった。まずセントレアで、搭乗直前にアナウンスで私の名前が呼ばれた。何ごと!?空港まで私を送っての帰りに事故でもあったのか?と一瞬ドキーンとしたが、スーツケースの中身を再確認して欲しいとのことだった。中に絵の具を入れたのだがこれがくせ者なのだ。私が使っているのはリキテックスというアクリル絵の具で水溶性なので問題はないが、油絵の具などは引火性の物質と言うことで貨物便でないと運べないことになっている。リキテックスの小さいチューブはフランスには売ってないのでいつも日本で買っていくが、かつて一度調べられたことがあったけど最近のチューブは柔らかいプラスチック製なので油絵の具とすぐ区別がつくしここ数年は問題なかった。今回は自宅に残っていた絵の具をこの際だからと全部持って行くことにしたのだが、昔買ったアクリル絵の具はアルミ製のチューブに入っているのでおそらくそれで引っかかったのではないかな。
 
 次にヘルシンキにて。ムーミンショップは行きにも寄ったが、ムーミンタオルが好評でリクエストが出たのでまた寄らなくてはならない。しかし乗り継ぎ時間は1時間ちょっと、搭乗が開始されるのは30分前からなのであまり時間はないぞ。そうしたら入国前にセキュリティチェックが長蛇の列。そのあとの入国審査でも何だか質問されたし。
 ムーミンショップに全速力、何とか買いものは終えた。子供がふふっと笑って「何だか帰りはいろいろあるねえ。フランスに入るときもなんかありそう。」と言うので「もう入国審査はあれで終わりだから大丈夫。パリの空港ではパスポートチェックもセキュリティチェックもないの。」と私は答えた。

 ところがあったのだ。グランドフィナーレが。ジャーン、ロストバゲージ。

それでも2個のうち1個だけでも届いたのはラッキーな方みたいだ。何せ名古屋発の人たちの荷物は大部分は届いてなかったようだから。皮肉にも搭乗直前に開けさせられたスーツケースの方が無事届いた。多分一番最後に積まれたので出てくるのは一番早く、それで間に合ったのだと思われる。
 早ければその晩、さもなければ翌日に届くと言われたが届いたのは翌々日であった。
【2008/08/17 19:49】 | 生活 | コメント(6) |
イルフ童画館
ILF1.jpg
左:イルフ児童館パンフレット表紙 ロゴがなかなかしゃれている 右下はラムラム王 
右:入場券 旗に記されている RRRは武井武雄が使っていたサイン


 家族旅行で長野、諏訪方面に行ってきた。宿泊先のロビーにおいてあったパンフレットから、近くの岡谷市に「イルフ児童館」という武井武雄の美術館があることを知った。武井武雄とは大正から昭和にかけての児童画家で、「キンダーブック」「コドモノクニ」などの児童向けの雑誌で活躍していた。またアンデルセンその他童話の挿絵を描いていたので、名前を知らなくとも私くらいかあるいはもう少し下の世代までならの彼の絵は目にしていたのではなからろうか。ユーモラスで少しシュール、懐かしい感じのする彼の絵は以前から結構好きだったのでさっそく行ってきた。

 ところでこのイルフという単語、なかなかいい響きでどういう由来かな?と思ってたら武井武雄が考案した言葉で古いけど新しい、そんな意味を込めて「古い」を逆さに読んだものらしい。また「童画」という言葉を作ったのは武井武雄だということも今回初めて知った。
  原画や版画、当時の出版物など数多く展示されていて見応えがあった。武井武雄は「刊本作品」という、絵のみならず装幀、函、印刷まで含み本そのものが一つの作品であるという限定版の本を多数出版している。
 私は彼の描く図案的な柄やカリカリとしたタッチがとても好きだ。彼の絵はほの暗い部屋をともす小さな電灯の下が似合う気がする。

 通路には本棚があって閲覧ができる。いくつかの貴重な本は鍵付きのショーケースに収められているがそれも申し出れば見せてもらえる。本棚には普通の全集や童話集の横に、刊本作品もあり限定200部とか300部なので通し番号が付いているが、そのうちの一つは1/200だったので驚いた。いいんですか?こんな誰でも手に触れられるところに置いといて。

oiseauJPG.jpg
館内は撮影禁止なのでちょっと違反だけど、展示室内じゃないので許して、
とオブジェがあまりに可愛いので撮ってしまった。


 展示室では武井武雄の作品や生涯について解説したビデオをみることができる。彼には男の子が2人と女の子が1人あったが、男の子2人を結核で立て続けに亡くしてしまう。かつて使用していたRRRというサイン(彼の作品であるラムラム王:Roi Ram Ramからとったもの)は息子の死を境にしてその使用をやめてしまう。また同時に自宅の大改装も行っているが、それはそれまでの生活を断ち切るためなのだろうと言われている。そんなつらい時期を乗り越え武井武雄は作品を作り続けた。

イルフ童画館のサイトはこちら
 同館には「かいじゅうたちいるところ」でしられるモーリス・センダックの絵も少ないながらも常設展として展示されている。センダックも好きなのでうれしかった

okaya1.jpg  okaya2.jpg

 上は童画館でもらった武井武雄マップに載ってたものだが、岡谷市のあちこちに武井武雄図案の看板や装飾が見られる。時間の都合でそれらを見て回ることができなかったのが残念だ。駅の歩道橋の絵、いいなあ。

 このほか岡谷市には「小さな絵本美術館」というところがあり、ちょっとした絵本の街となっている。いい街だなあ。また行きたい。
【2008/08/09 10:43】 | 絵本・イラストレーション | コメント(0) |
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